コミュ障の本質がわかって、コミュ力高い人材が求められる理由がわかった話

こんにちは。
逸材は君だの酒井です。

今回は「コミュ障の本質が、ようやくわかった。」という記事が面白かったので
それについて内容語りつつ自分の考え交えつつ書いていきます。

記事はこちら↓
「コミュ障の本質が、ようやくわかった。」

そもそもコミュ障とはなんぞや?という話なのですが、
改めて言語化するとなると少し定義が難しいですよね。

 

イメージで言えば人と話すのが苦手とか暗い、人の気持ちがわからない
友達がいない、距離感がある、仲良い人はめっちゃ仲良いとかですかね。

よく企業さんと話してると欲しい人材の特徴でも
コミュニケーション能力が高い人が欲しいというのもよくあります。

 

ただこれってその人が社交的であればいいかと言われると、
社交的でも仕事がやりにくくて微妙だなと思う人もいるし、

反対に気難しそうだなという人でも仕事できる人いますからね。

 

企業が求めるコミュニケーション能力が高い人というのも
ちゃんと人に求められてることを意図を汲んでアウトプットできる人材というのが
意味合い的には近いでしょうか?

 

とはいえこれだとじゃあどういう特徴がその人をコミュ力高いと言わしめるのか?
またはコミュ障だとみなされてしまうのか?わかりにくいです。

そこで先ほどの記事に書かれてるのが
コミュ障=人を信頼するのが下手な人という考えです。

 

では信頼するのが下手とは具体的にどういうことなのか?
(ちなみにコミュ障=悪い、ダメというわけではないです)

コミュ障=人を信頼するのが下手な人とは??

先ほど紹介した記事では信頼を次のように定義しています。

「信頼」は、相手が裏切るかどうかわからない状況の中で、
相手の人間性のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えることだ。

つまりは相手の人間性を信じるということですね。

そしてここからが面白いのですが、
「信頼」とは対になる概念として記事では次に「安心」を挙げています。

信頼の反対が安心というのは思いつかない面白い切り口です。

安心の定義は次のように書かれています。

「安心」は、相手が裏切るかどうかわからない状況の中で、
相手の損得勘定のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えることだ。

ここわかりにくい部分かと思うので詳しい解説を記事の引用しますね。

信頼は不確実性を大きく残したまま、人に期待を持たなければならない。

だが、安心は、システムやルール、約束事などによって、
「相手が裏切る」という不確実性を大きく減らしている。

例えば、「裏切ったら処刑される」という鉄の掟があるマフィアにおいて、
ボスが子分に持つのは「信頼」ではなく「安心」である。

三蔵法師が孫悟空に対して
「頭を締め付ける輪があるから、裏切らないだろうと考えること」も、
「信頼」ではなく「安心」である。

つまり、「安心」は直接人を信じなくとも仕組みによって機能し、
逆に「信頼」とは文字通り「人間を信じている」からこそ、成り立つということだ。

少し長いですが最後の2行を見ていただければだいたいわかるかと思います。

人間関係はどれも信頼で成り立っているように見えて、
実は信頼など関係なく仕組みで成り立っていて安心してるケースが多いとのことで。

だから安心に依存してる人は実は人との信頼関係の構築の仕方に慣れていないから
コミュ障になってしまうというのです。

「安心」に依存していると、他人を「信頼」する能力が育たなくなる

 

安心に依存してる人にはどういう人がいるか記事ではこう書かれています。

・仲間以外は信用しない(「人を見たら泥棒と思え」に賛同する)

・仲間内で、誰が誰を好いている、嫌っている、という情報に敏感

・周りの人が自分をどう思っているのか気になる

・他人との付き合いは、自分も傷つきたくないし、他人も傷つけたくない

・孤独感が強い

・感情を顔に出さない

「人間同士の信頼関係」よりも、「安心を作り出す仕組み」の方に依存しているため、
「この人はどの程度信頼できるのか」という感覚が鈍ってしまっており、それゆえに「コミュ障」なのだ。

ということを記事では書かれていて個人的に学びがとても多かったです。
最後の7つの特徴は昔の学生時代の自分にまさに合致してるので怖いです笑

 

そう考えると昔の自分を今振り返ってみると、、、

・やたら人への警戒心が強い、距離感がある

・自分に自信がない、自己表現しない

・人と交流しないので価値観が偏る、他人を受け入れる器がない

・新しいことにチャレンジしない、ビビり、保守的

 

まぁ私はとにかく嫌われたくないとか裏切られたくないとか
考えて考えてラチがあかないのでずっと引きこもってました。

誰とも関わらなければ喋らなければ人間関係で苦しむことないだろとか思いつつ、
実は友だち欲しい的なめんどくさいやつでした笑

 

でもそうやってこじらせてしまうとだんだん
人はこうあるべきだ!とか決めつけてしまうようになるんですよね。

価値観が偏ると相手がどう思ってるかなんて全然わからなくなり、
相手を勝手に決めつけて勝手に期待して、そしたら当然裏切られて
自分が悲劇のヒロインみたいになるというね。

いやいやそれは違うでしょと。

自分が裏切られた気分になるのは相手が全て悪いのではなく
勝手に期待してる自分にも悪いところはあるという考えが私にはあります。

期待というのは言ってしまえば他人にこうあるべきだ!という理想を
押し付けてるとも言えますよね。

でも人って当然ですが必ず期待通りに動くわけではないし、
向こうからしたら何勝手に期待してるんですか?って話だったりします。

 

こういう部分で特に仕事をする際にコミュニケーションで
不具合が起きてしまうのではないかと思います。

 

先ほど「信頼は不確実性を大きく残したまま、人に期待を持たなければならない。」
という言葉がありましたがまさにその通りです。

コミュ障の人はこの不確実性を受け入れられないのだろうなという気がします。
絶対に裏切らないで欲しいという安心保障を求めてしまってるんです。

でも人間関係に絶対なんてないですよね。仕事も同じくです。

 

世の中に絶対なんてありゃしないのに絶対を求めて裏切られるという。
でもそれはもはや自分から裏切られる道を選んでしまってるようなものです。

 

ただ当の本人は気づかないまま苦しんでしまうというのは辛いですね。
そして他人を恨み、世間を恨むようになったらコミュ障はより悪化します。

 

こういう時に他者の考えや新しい情報を取り入れる器がないと
自分の考えだけで堂々巡りして発展性がないのでいつまでたっても闇の中。

だんだん視野が狭くなってしまいます。

進化も成長しないでずっと損な役回りをする人生を歩まざるを得ない選択をしてしまうのかなと。

少々言葉はきつく聞こえるかもしれませんが、
こういう結論に至ると確かにコミュ力というのは必要だと感じます。

 

もちろん安心を求めて不確実性を減らしてリスクを減らすこと自体は
何も悪いことはないですが、
リスクを取らなすぎることが後々大きなリスクになることもまた確かです。

 

私は幸いにも学生時代から起業していろんな価値観に触れて
自分の常識をたくさんの人に破壊してもらいました。

様々なことが不確実であることが当たり前であるからこそ、
他人に対してもっと知ろうと思えるし勉強しようと思えて
それが結果的に仕事ができる人の特徴を兼ね備えるのかなと思います。

 

というわけでコミュ力高い人材ってどんな人か個人的にこの記事がきっかけで
少し理解が深まったのでアウトプットしてみました。

以上です。

 

 

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